雨が降っている。
横浜に、雨が降っている。
湿った海風が背中を押すように街に流れ込み、石畳の上に無数の同心円を描きながら、すべてが溶けてゆく。気温は十八度。春の体温に近い、この生ぬるさが却って人を孤独にさせる。寒ければ人は身を寄せ合う。しかし中途半端な温もりは、人間を各々の殻の中へと押し込めるのだ。
降水確率、九十パーセント。
なんと正直な数字ではないか。神も仏も、かくほど率直に人生の絶望を告げはしない。空は灰色の緞帳を引き、港に停泊する船の輪郭をぼかし、遠く見えるはずのベイブリッジを白い霧の中へ消し去った。あるべきものが、あるべき場所にない。それが今日の横浜の正確な姿である。
私は傘を持たない。
意地ではなく、ただ傘というものの哲学的欺瞞に耐えられないのだ。あの小さな円蓋が何を守るというのか。雨とは空全体が落ちてくることであり、一本の細い骨と布で空に抗おうとする人間の滑稽さを、私は直視することができない。
濡れながら歩く。
山下公園の薔薇はまだ咲いていない。三月の末とはそういうものだ。美しいものはいつも、もう少し先にある。手を伸ばせば届きそうな距離に吊るされ続けながら、人は歩く。雨の中を、傘もなく、意味もなく。
しかし、これでいい。
雨に打たれることで初めて、人は自分の輪郭を知る。乾いた日には気づかぬ皮膚の一枚一枚が、冷たい雨粒の接吻によって目を覚ます。私は今、全身で横浜を感じている。十八度の春雨が、私という存在の縁取りをしてくれている。
やがて雨は止むだろう。
明日、あるいは明後日、空は青くなる。しかしそれは今日とは別の話だ。今日は雨であり、それ以外の何物でもない。今日という日は今日の天気の中にしか存在せず、私もまたこの灰色の午後の中にしか存在しない。
横浜に、雨が降っている。
それだけが、今日の真実である。
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