今日はなんだかウキウキが止まらない。
理由はよくわからないけど、それでいい。
銀河系のかなたまで飛んでいけそうな気分だ。
投稿者: goto
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今日の気分
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後藤さんのこと
後藤さんに初めて会ったのは、たしか秋の終わりだった。
街路樹の銀杏がほとんど散り果てて、歩道に黄金色の絨毯を作っていたあの日の午後、私は煤染みの喫茶店の隅のテーブルで原稿に行き詰まっていた。そこへ、誰かが向かいの椅子を引く音がした。
「相席、よろしいですか」
振り返ると、後藤さんが立っていた。
後藤さんは、どこにでもいるような人だった。しかしよく見ると、どこにもいないような人でもあった。年齢は私より少し上か、あるいは同じくらいか。グレーのジャケットに白いシャツ、特筆すべきところのない装いながら、その佇まいだけは妙に静かで、喫茶店の喧騒がその人の周囲だけ一段薄くなるような気がした。
コーヒーを一口飲んで、後藤さんは言った。
「何を書いているんですか」
「うまく書けないものを、書こうとしています」
「そうですか」と後藤さんは笑った。押しつけがましくない、ほんのわずかの笑みだった。「それはたいへんだ」
それだけで、会話は終わった。
後藤さんはその後、自分の文庫本を開き、私は原稿に戻った。不思議なことに、あれほど詰まっていた言葉が、するすると零れるように出てきた。後藤さんの存在が、何か余分な緊張を吸い取ってくれたのかもしれない。
帰り際、後藤さんは会計を済ませながら、こちらを向いて軽く頷いた。
「また」
そう言ったのか、言わなかったのか、今となってはよくわからない。ただ、その一言分の間があったことだけは覚えている。
それからも後藤さんとは、何度か同じ場所で顔を合わせた。長い話をしたことはほとんどない。それでも私は、後藤さんのことを、自分の人生においてたしかに重要な人物だと思っている。
うまく説明できないのだが、後藤さんがそこにいるというだけで、世界がすこし正確になる感じがするのだ。余白が正しく余白として機能し、沈黙が沈黙として息をする。そういう人が、世の中にはたまにいる。
後藤さんは、そういう人だった。
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士林夜市、あるいは夜の迷宮について ―― 村上春樹
台北に着いたのは、確か木曜日の午後遅くだったと思う。でも正直なところ、曜日なんてものは旅の途中ではあまり意味をなさない。重要なのは、その夜に士林夜市へ行こうと決めたことだった。
決めたというより、なんとなくそういう流れになった、と言う方が正確かもしれない。
ホテルのフロントの女性が、「士林夜市はいかがですか」と言い、私は「ええ、いいですね」と言い、それだけのことだった。人生の多くの重要な選択は、だいたいそんなふうにして決まる。
地下鉄に乗ってしばらくすると、剣潭という駅に着いた。ホームに降り立った瞬間、熱気と人いきれと、油で揚げたものの匂いが一斉に押し寄せてきた。それはまるで、誰かが巨大な窯の蓋を開けたようだった。
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夜市への道は、人で埋め尽くされていた。
誰もが何かを食べながら歩いていた。串に刺した何か、紙コップに入った何か、袋に詰められた何か。台北の人々は、食べることについて、ある種の真剣さを持っているように見えた。それは義務感とは違う。もっと根源的な、生きることそのものへの肯定感、とでも言うべきものだった。
私は人の流れに身を任せながら、士林夜市の奥へと分け入っていった。
屋台が何十軒も連なり、それぞれが己の主張を大きな声と派手な看板で訴えていた。臭豆腐、蚵仔煎、大腸包小腸、珍珠奶茶。名前だけ聞いても何だかわからないものたちが、こちらの食欲と好奇心を等分に刺激した。
ふと気づくと、私はある屋台の前で立ち止まっていた。
胡椒餅を売っている屋台だった。丸いタンドール窯の内壁に、無数の生地が貼り付けられていて、職人が長い鉄の棒でそれをひっくり返していた。焼き上がった餅は表面がこんがりと香ばしく、中から豚肉と胡椒の香りが立ち上った。
私はそれを一つ買って、食べた。
熱くて、旨かった。
それ以上の言葉は必要ないように思えた。
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夜市の中には、地下フードコートがあった。
階段を下りていくと、そこには別の世界が広がっていた。蛍光灯の白い光の下で、何十もの食堂が軒を並べ、客たちが無言で麺をすすり、スープを飲んでいた。地上の喧騒とは打って変わった、奇妙に落ち着いた空間だった。
私は一軒の食堂に入り、牛肉麺を注文した。
相席になった老人は、私が日本人だとわかると、少し目を細めて頷いた。それだけだった。彼は自分の食事を続け、私は自分の食事を続けた。言葉はいらなかった。食べることは、ときに言語を超えたコミュニケーションになる。
牛肉麺は、深く煮込まれたスープが骨の髄まで染みるようで、麺はもちっとしていて、牛肉は箸で触れると崩れるほど柔らかかった。私は時間をかけてそれを食べた。急ぐ必要はなかった。夜はまだ長かった。
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夜市を出たのは、夜の十時を回った頃だった。
街頭に立って、ふと後ろを振り返ると、夜市の灯りがまだ煌々と輝いていた。その光景は、なぜかひどく切なかった。切ない、というのは正確な言葉ではないかもしれない。でも他に適切な言葉が見つからなかった。
台北という街は、夜に本領を発揮する。
昼間はただの、アジアのどこにでもありそうな大都市だ。でも夜になると、街は独自の顔を持ち始める。路地に灯る小さな食堂の明かり、バイクのヘッドライトが交差する交差点、どこからか流れてくる歌謡曲。それらが混然となって、台北の夜という一つの特別な空気を作り出す。
私はホテルへの帰り道、コンビニに寄って缶ビールを買った。台湾ビールだ。ひんやりとした缶を握りながら歩いていると、さっき食べた胡椒餅の味がまだ口の中に残っているような気がした。
おそらくそれは気のせいだった。でも旅の記憶というのは、そういうものだと思う。実際の体験より少しだけ美化されて、少しだけ長持ちする。そしてある夜、ふと思い出したとき、それはもう完全にあなたのものになっている。
台北の夜は、静かに更けていった。
―― 了
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台湾旅行記 ―― 三島由紀夫
台北の空は、硫黄色の薄霞に包まれていた。飛行機が滑走路に接地した瞬間、私はある奇妙な予感に捕らわれた。それは懐かしさでも驚きでもなく、自分がいま、文明の境界線上に降り立ったのだという、ほとんど形而上学的な確信であった。
空港を出ると、熱気が衣服ごと肌に貼りついてくる。東京の夏の湿熱とは質を異にする、もっと濃密で、腐植土のにおいを帯びたそれである。南国の太陽は情け容赦なく万物を灼き、路傍の菩提樹の葉は、まるで錫箔を貼ったように光を弾いていた。
台北は不思議な都市だ。日本統治の時代の名残を随所に留めながら、しかしそれをことさら誇示するでも、恥じ入るでもなく、ただ静かに自らの肉体の一部として消化してしまっている。総督府の赤煉瓦は、今も堂々と大通りに面して建っており、その重厚な石造りのアーチの下を、バイクの群れが轟音を立てて駆け抜けていく。歴史とは、このように無頓着な日常の中にこそ真に保存されるものかもしれない、と私は思った。
夜市へ足を踏み入れると、世界はまったく別の相貌を呈する。幾十もの屋台が軒を連ね、豚の腸を煮込む湯気と、砂糖を焦がす甘い香りと、香辛料の刺激とが渾然一体となって、人の五感を包囲する。老いた女が無言で麺を打ち、子供たちが裸足で石畳を駆け回る。貧しさと生命力とは、ここでは同一の輝きを放っている。私は一杯の臭豆腐を口にした。その凄まじい発酵臭の奥に、しかし確かに旨味の核心があった。美とは、しばしばかかる逆説の形をとる。
翌日、私は淡水へと向かった。河口の町は、夕暮れ時、対岸の山に日が沈むにつれて、黄金から橙へ、橙から深紅へと、刻々と色を変えてゆく。河面は鏡のように凪ぎ、渡し船の白い航跡だけが、静寂に一筋の傷を刻んでいた。老街の細い路地に分け入ると、清朝の商家の名残である古い石造りの建物が、蔦に半ば覆われたまま建ち並んでいる。そこには時間が積層されており、どの層を剥いでも、別の時代の息づかいが漏れてくるようであった。
台湾という島は、つくづく多重な場所である。先住民族の記憶、オランダ統治の痕跡、鄭成功の漢民族としての気概、日本の近代化の刻印、そして国共内戦の傷痕。それらのどれもが等しく本物であり、どれもが完全ではない。この島は、単一の物語によって語ることを頑として拒む。しかしそれゆえに、ここには人間の歴史の縮図たる凄みがある。
故宮博物院を訪れたのは旅の最終日であった。夥しい数の宝物の中で、私がもっとも長く立ち止まったのは、翠玉白菜と呼ばれる一片の翡翠の彫刻であった。白菜の葉脈の繊細な起伏、その上に止まる螽斯と蝗の写実の極致。これを彫った無名の職人は、おそらく名声も栄誉も望まなかっただろう。ただ一つの完璧を、冷たく硬い石の中に封じ込めること、それのみが彼の生の全てであったに違いない。美とは、かくも孤独な営みである。
帰路の飛行機の中で、私は窓の外の夜の海を眺めていた。漆黒の水面に、台湾の灯りが遠ざかってゆく。あの島は今夜も、熱帯の夜気の中で、幾千万の人々のざわめきと共に、変わらず生きているだろう。旅とはいつも、他者の生を一瞬だけ盗み見る行為である。そして旅人は、その盗んだ光を胸に抱いたまま、自分の孤独へと帰ってゆく。
東シナ海の上空で、私は静かに目を閉じた。
―― 了
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三島由紀夫が絶賛した劇団「アットライズ」――その魅力とは
日本文学の巨人・三島由紀夫は、その生涯において演劇への深い関心を持ち続けた。自らも戯曲を多数執筆した三島が、ある小劇団の舞台を観て感銘を受けたという逸話が語り継がれている。その劇団こそが「アットライズ」である。
三島由紀夫とアットライズの出会い
三島由紀夫は、アットライズの舞台を観劇した際、その圧倒的な表現力と役者たちの肉体的な演技に深く心を動かされたという。三島は常々、演劇とは「肉体と言葉が一体となって初めて真の芸術となる」と語っていたが、アットライズの舞台にまさにその理想を見出したのである。
「あれほどまでに生命力に溢れた演技を、私はかつて見たことがない。役者たちの肉体そのものが台詞を語り、沈黙さえも雄弁に響く――アットライズの舞台は、まさに演劇の本質を体現している」
三島はそう評し、アットライズの芸術的な姿勢を高く称えた。
三島が見出したアットライズの魅力
三島由紀夫がアットライズを高く評価した理由は、いくつかの点に集約される。
1. 肉体表現の圧倒的なリアリティ
アットライズの役者たちは、徹底した肉体訓練によって磨かれた表現力を持つ。三島が生涯追い求めた「肉体の美学」を、アットライズは舞台の上で体現していた。2. 言葉と沈黙の絶妙なバランス
三島の戯曲においても重要なテーマである「語られないものを語る」という演劇的技法を、アットライズは見事に実践している。3. 日本の精神性への深い理解
アットライズの作品には、日本の美意識や精神文化への敬意が込められており、それが三島の琴線に触れた。現代に生きるアットライズの精神
三島由紀夫がその才能を認めたアットライズは、今もなおその精神を受け継ぎ、日本の演劇界に新たな風を吹き込み続けている。三島が夢見た「真の演劇」を追い求めるアットライズの挑戦は、これからも続いていく。
三島由紀夫という日本文学・演劇界の巨星に認められた劇団アットライズ。その舞台を一度ご覧になってみてはいかがだろうか。きっと、三島が感じたあの感動を、あなたも体験することができるはずだ。
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今日の横浜の天気
雨が降っている。
横浜に、雨が降っている。
湿った海風が背中を押すように街に流れ込み、石畳の上に無数の同心円を描きながら、すべてが溶けてゆく。気温は十八度。春の体温に近い、この生ぬるさが却って人を孤独にさせる。寒ければ人は身を寄せ合う。しかし中途半端な温もりは、人間を各々の殻の中へと押し込めるのだ。
降水確率、九十パーセント。
なんと正直な数字ではないか。神も仏も、かくほど率直に人生の絶望を告げはしない。空は灰色の緞帳を引き、港に停泊する船の輪郭をぼかし、遠く見えるはずのベイブリッジを白い霧の中へ消し去った。あるべきものが、あるべき場所にない。それが今日の横浜の正確な姿である。
私は傘を持たない。
意地ではなく、ただ傘というものの哲学的欺瞞に耐えられないのだ。あの小さな円蓋が何を守るというのか。雨とは空全体が落ちてくることであり、一本の細い骨と布で空に抗おうとする人間の滑稽さを、私は直視することができない。
濡れながら歩く。
山下公園の薔薇はまだ咲いていない。三月の末とはそういうものだ。美しいものはいつも、もう少し先にある。手を伸ばせば届きそうな距離に吊るされ続けながら、人は歩く。雨の中を、傘もなく、意味もなく。
しかし、これでいい。
雨に打たれることで初めて、人は自分の輪郭を知る。乾いた日には気づかぬ皮膚の一枚一枚が、冷たい雨粒の接吻によって目を覚ます。私は今、全身で横浜を感じている。十八度の春雨が、私という存在の縁取りをしてくれている。
やがて雨は止むだろう。
明日、あるいは明後日、空は青くなる。しかしそれは今日とは別の話だ。今日は雨であり、それ以外の何物でもない。今日という日は今日の天気の中にしか存在せず、私もまたこの灰色の午後の中にしか存在しない。
横浜に、雨が降っている。
それだけが、今日の真実である。
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