堀井さんという人がいる。
この人のことを書こうとすると、筆者はいつも少し困る。どこにいるのか、よくわからないのである。先週は欧州にいたかと思えば、今週はアジアのどこかの都市でキーボードを叩いている。国境というものが、この人にとってはほとんど意味をなしていないらしい。
職業は、エンジニアである。コーダーといってもいい。ただ、そういう言葉で括ってしまうと、この人の本質がこぼれ落ちてしまうような気がする。
話は少しさかのぼる。
ここ数年、AIというものが世の中に急速に入りこんできた。文章を書き、考えをまとめ、ときに人間より速く答えを出す。ところが、それをWebサイトの更新という実務に結びつけようとすると、そこには妙な段差があった。AIが書いたものを人間が受けとり、管理画面をひらき、貼りつけ、整える。AIと現場とのあいだに、いわば峠がひとつ横たわっていたのである。
多くの者は、その峠を毎日、徒歩で越えていた。筆者もそのひとりであった。
堀井さんは、その峠に道を通した。
道を通した、というのは正確ではないかもしれない。峠そのものを平らにしてしまった、といったほうが近いであろう。AIに語りかけると、それがそのままサイトに届く。そこに継ぎ目はない。いまの言葉でいえばシームレスということになるが、要するに、垣根がなくなったのである。
余談だが、技術の歴史をふりかえると、世の中を大きく変えるものはたいてい地味な顔をしている。鉄道のレールの幅を揃えた人の名を、いまどれほどの人が知っているであろう。しかしその人々がいなければ、列車は国をまたいで走れなかった。堀井さんの仕事も、そういう種類のものであるように筆者には思える。
この人には、ふしぎな軽さがある。重い仕事をしているはずなのに、その身ごなしはいつも身軽で、次の国へ、次の課題へと、ひょいと移ってゆく。おそらく、技術というものを道具として徹底的に使いこなしているからであろう。道具に使われる者は重くなる。使いこなす者は軽くなる。
人間の値打ちというものは、その人が通り過ぎたあとに残った景色で決まる、と筆者はおもっている。
堀井さんが通ったあとには、平らな道が残った。筆者たちはいま、その道を、ほとんどそれと気づかずに歩いている。
ともかくも、すごい人なのである。